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- 2016.04.23 Saturday
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前記事へのコメ承認遅れにコメ返事できないままでの更新、
ごめんなさい。
何日間かなんとも言えませんが
このあともしばらくはブログ活動休止しますことを報告します。
このあとは話が重いし長くなると思うので
スルーするかどうかお任せします。
お義母さんが他界へと逝ってしまいました。
前記事更新したその日の午後です。
14時ちょい前に介護医療病院から急変したと連絡があり
わたしはディケアから義父を迎えに行き
各自駆けつけましたが間に合いませんでした・・・
約12〜3年位前から
パーキンソン病・脳梗塞・アルツハイマーと次々とでした
2回目の脳梗塞で
自分から食べることができず
自立歩行もできず
排尿の感覚もわからずでオムツとなり・・・
その頃が本人一番苦しんだと思います。
数ヶ月は死にたいと言葉を吐き・・・
一時期は食べる量を減らして
なるべく便通ならないようにと考えてしまったり・・・
そしてアルツハイマーも
あれよあれよと進んでしまって・・・
その当時は薬で遅らすというものもなくでした。
いまの時代は脳梗塞発生しても
確か24時間以内に点滴薬を処方すれば
固まらずにほぼ後遺症もないと言われている時代。
みなさんの周りでもし起きた方がいたら
きちんと間に合うように対処できることを願います。
どんな病気でも楽ではないけど
アルツハイマー、認知症と言う病気も
本人、家族は辛い過酷を経験せざる負えません。
息子であるダンナも伴侶である義父も
納得、理解はしても認めるのには時間かかったよ、当たり前だけど・・・
認知症とひとくくりに言ってもいろいろな病名があるらしく
ある程度進むと義母は幻聴幻覚にも苦しんでました。
家族のなかでは一番新しい記憶である嫁である私が
わからなくなってしまってね。
息子も同時期に近いかな。
次に義母の息子らや自分の兄妹がわかったりわからなかったり・・・
ひとによって違うようですが
義母は伴侶である義父への認識が最後でした。
病気で歩けない立てない、衣服の脱着もできないことも
理解できずで自分の状況わからずで
頭の中では健常者であり・・・
お義母さんにしたら見ず知らずの他人が家に上がり込んで
着替えさせたりオムツを変えられたりするわけだから
わけもわからず不安もあったからでしょうね。
よく罵倒されたんだよね。
あとになってお義母さんも辛かった不安の日々を
送ってたのだと心から思えたけど
その当時は私自身にそう心から思える余裕もなく・・・
毎日、ご飯食べさせてオムツ替えたりと世話をしてるのに
毎日毎日忘れられる日々、ほぼ罵倒される日々
なのに仕事から帰ってきたダンナや義父の前では
不思議と私への罵倒の言葉は出なかった。
自分にとっては知らないひとだけれど
平気で普通に私に話す義父やダンナを見て
不安なりにでも自分が変だと思ったのか
病気ではなく嫁へ罵倒したい気持ちに駆られたのか
それを思い出すといまだに答えは出ずわからない。
自分への辛さと同居して半年も経たずの頃だったので
息子の新しい学校生活でも少し不安があったりで・・・
息子への十分なフォローアップもできなかったと
それもあとになってから思えたこと。
いけないことだと思いつつも
数日おきにダンナにはお義母さんのことで愚痴をこぼし
口論になった日々も数えきれずで
しっかりと十分にお義母さんを介護してあげることも
できなかったと思う。
そんな日々が約2年弱続いた頃に
今度はお義父さんが脳内出血で倒れてしまい・・・
不幸中の幸いで
町会関連の集まり場面だったので
すぐに救急車を呼んでもらい命は助かったけど
ベッド、車椅子生活になり・・・
二人共にベッドに車椅子は一軒家では無理があり
私自身も母の車椅子ベッド移動をこなすのは
悲鳴あげている腰痛持ちの不安も
二人共に世話をできる自信も全くなく・・・
自分の家もわかったりわからなかったりもあった
義母を施設に入所。
運良く特養にそれほど待たずに入所で約4年弱、
介護医療病院も約4年弱お世話になって約8年。
アルツハイマー、認知症という病気は歩けてたひとも歩けなくなったり
口を動かす飲み込む他、体の機能も脳からの指令が衰える病気で、
自然な脳からの指令も忘れてしまう病気もあってか?
ここ3年弱は鼻から経過チューブで胃に直接、栄養液送り。
面会に行っても
ほとんど寝ていることが多く
たまに目が覚めてても反応もなく
言葉のやりとりなんて全くできずでね・・・
行きは気にかけつつどうかなぁと思いながらだからまだいいんだけど
面会の帰りはなんとも言えない気分を
私でさえあったのだからダンナも義父も尚の事だったと思う。
当初は二週間に一度を心がけ、一ヶ月に一度行くようになり。
二ヶ月に一度、三〜四ヶ月に一度になることも・・・
ただ本当のところ毎日どんな気分で過ごしていたか
わからないけど・・・
認知症が進み自分の置かれている状況がわからず
家族と離れ離れでも
寝たっきりでも
口から飲み食いできなくとも
そして昔、オムツになってしまった苦しんだことも
わからないように傍からはそう見えるから
ある意味なにもわからない義母は
唯一の救いではなかろうかとダンナと話してた。
ただどんな状況でも生きながらえていることが
人間の尊厳が保たれているのか
プライドも高かったという義母が果たして・・・
ただ何もかも忘れているようにみえる義母のおかげで
うちで面倒見れない負い目の思いを軽減してくれたと思う。
5月11日に面会に行った時は
医師の経過説明では熱もなくタンも多くなく経過よくとのこと。
ただ寝たっきりの年数や歳を考えると
いつ急変してもおかしくないとは以前から
時折、言われてたんだ。
本当はダンナ釣り行く予定だった日だったけど
天候もだけど、なんか気乗りもせずで
だったらここんとこ面会に行ってないから
行こうよと義父と三人で。
後から聞いたはなし、ダンナの弟もその日に面会に行ったらしい。
その後すぐではないけど、16日に・・・
もしかしたら呼ばれたのかな・・・と。
最後に誰も家族、間に合わずで逝かせてしまったことが
一番の心残り・・・
そして理由はあれど
お義母さんを自宅で面倒見れなかったこと。
自宅での介護時代に
もっと母のような心持ち、娘のような心持ちで
介護できなかった自分。
その頃に戻っても自宅で世話はできなかったけれど
心のなかで何度もごめんねとしは言えなかった。
自分たちの手で葬儀を行ったのは初めてで
ダンナと二人で右往左しながら葬儀の取り決めしたりで
十分に悲しんでいられる余裕もなかったけど・・・
最後のお別れになっちゃうんだと
花入れのときは、ようやく大粒の涙が何度も出た。
ダンナもそのとき初めて?泣けたんじゃなかろうか。
でも葬儀が終われば
区役所等、いろんな手続きが待ち構え・・・
あと三分の一ほどやりきれば、
49日法要まで落ち着けれるようになるところまで来れたので
自分への気持ち、整理も含め記事にしました。
頭がよく回転の早いひとだったと・・・
昔の時代、特に女子は昔で言う小学校8年間通い
その上の学校はほとん行けない農家。
学校の先生がわざわざ家に行き、
この子はぜひ上の学校に上がらせてほしいと言われたほど。
忍耐強く頑張り屋さん。
短気、時には気の強い一面も大いにあったり・・・
わたし自身は義母との良い思い出は少ないけれど、
でも唯一、一生忘れることのできない素敵な思い出があるんだよね。
嫁に来ると決まったときに
『うちの嫁になってくれるんだね ここの娘になってくれるんだね
ありがとう』とそんな言葉をかけてくれた
口にだして言葉にした
そんな素敵な一面もある女性でした。
生まれ変わりが本当にあるならば
後世良き時代に生まれ
人生をもっと謳歌してほしいことを願います。
最後まで読んでくれたとしたらありがとう。
いつものみくまなでブログのやりとりをしたいから
それまではブログ参加休みます。
気の重たくなる内容だし
前記事もコメ返事できずのまま
今回のものもコメ返事できそうにないので今回はコメ欄閉じました。
それから
食欲も普通にあるし元の睡眠に戻りつつあるし
きっとみんなが思うより気持ちも沈んでないから
心配しないでくださいねん!
また再開した際には以前と変わらぬ
やりとりをヨロピクです。
今回は未来愛らの話しは全く出ないので・・・
せめて冒頭に写真をば アップ〜(ル)
前回の続きです。
今回のお出かけ目的のメイン〜
専門学校に通っている息子の学祭
日頃の成果&学校の位置確認をば
声優の学校にどんなものかと
いくらかの疑心暗鬼はあったものの・・・
箱を開けてみればの(悪い意味ではなく)
適当に流してできるような内容ではなくて
さすが声優のプロの方が数人で設立した学校からか内容濃く
何においてもサボればついていけないところのようです。
当たり前だけど
自身の在りようで実力も着くようです。
今までは面倒なことは避けるタイプで
クラス委員なんて絶対やらないヤツでしたが
自らクラスリーダーになったり。
入学してから三か月位経った頃に
チーム組んで朗読した時の録音を聞かせてもらったことがあるのですが、
その時に急きょ三役こなすことになり
最初聞いた時には息子の声だとわからず
前半はものの見事にこなしてて感動もんでした
残念だったのが終盤に
台詞の間違いに焦って声も変えられませんでしたが
進む道だけに親として不安は完全に拭えませんが・・・
でも今の学校での取り組みに懸命にしてることは
安心し微力ながら応援やフォローをしていきたいと思ってます
ただ遊びもそこそこ楽しんでいるので
それで生活やバイトに支障をきたすようだと
雷が落ちるのは当然のことですよねぇ
前振り長くなってしまいましたが
そんな息子らクラスのみんなが大変な思いして
3ヶ月位前からは授業前後の稽古に集まり
みんな集まれば、まとまり感や意見の食い違いもあるわけで
ここまで頑張る子とそこまで頑張れない子も当然、
価値観の違いも。
でもうまくいった時の喜びもありで
それこそ喜怒哀楽を共に過ごしてきた三か月ほどだったと思います。
もちろん他のクラスもいろんな思いして頑張ってきたことでしょう。
そんな思いしながら頑張った学院祭だと知ってるからこそ
観に行っての応援もしたくて・・・
あっ
また つい前振りコーナーになっちゃいました
行く途中におもしろいビルを発見したのでパチリ〜
思わず玄関先で記念撮影〜
待合室に行ったら顏知ってる限りですが
高校時代のお友だちが来てくれてました
母とふたり『ありがたいね』ってとっても感激しました
同じ学年の別クラスの子らが
受け付けやらスタッフに対応してたのですけど
明るくハキハキと気持ちいい対応で
終始気持ちよく過ごすことができました
後日、息子に
『そういう対応するように指導されてたのだろうけど
気持ちよかったよ』と言ったところ
『別にそういう対応するよう言われてないけど
入学当初から挨拶や応対に
注意されていたから自然にでてるんだろう。
前日は自分らがスタッフになったけど
自分も明るくハキハキと自然にでてた』
ということで
改めて今の専門学校で良かったと思いました
はじめにクラスメンバーによるご挨拶と開演の説明がありました。
クラス全員で群読。
そして個々に自分で選んだ詩を順番にひとりずつ。
朗読劇は二つにチーム別れて。
どうしても息子が出てる写真のほうが多く撮っちゃってます(テヘッ)
主人公の悪役リーダー役と
後半はみなしご役に様変わり(青ジャージ)
見せ場は徹底的にと
このためにTシャツビリビリにしてくれましたね
終わってからのカーテンコールで
『ありがとう』とひときわ大きな声でみんなで挨拶して終了。
終わって待合室でアンケート書いてたらクラス全員でまた改めて挨拶に来たので
母と記念にパチリ
ようやく終わってホッとするのもつかの間。
次は3月に向けての発表会みたいなものがあるようで・・・
でも本格始動するまでに多少の時間あるらしく
少しはのんびりと休養してくれたらと思ったけど
『若い』ってバイタリティーあるんですよね〜
えっ?
読んでる側の私も若いからしみじみ思えないですって?
はい ハイ わかりました(棒読み)
それはおいておいて(置くな!)
息子だけでなく
みんなバイトの日数や時間を削減したり
最後の2週間はバイト完全に休んで取り組んでいたので
ようやくバイト復帰できたはいいけど・・・
そうそうバイト先もね、
以前と同じようにスケジュール確保できないのは
当たり前ですもんね。
様子見で新しいバイト先を探さなきゃいけなくなることも・・・
まっ
そういう道を選んだのだから。
この先もそういうことはあるわけで
これで根をあげてたら続けられませんからね〜
と、愚痴が出たら言いやしょう
夕方に終わる予定とわかっていたので
ダンナと上の兄ちゃんには夜ご飯も勝手にしていただき〜
主婦になって 単独でのまるまる一日中のおでかけは
はじめてなんだしぃ〜
勘弁してもらいましょうと自分に甘々のみくまなだす
お昼ご飯遅かったしの疲れたのとで
とにかく地元付近ま帰ろうと言うことになり、
新横浜に途中下車して。
そしたら私の大好きな『リンガーハット』があったのよね〜
( はっちゃん あったよ♪ )
もちろん母と半分ごっこで頂きやした〜ん
帰りに家族にお土産(もちろん自分の分も デヘッ)
ベルギーワッフル
美味しいと知ってる物なので安心して悩まずに購入〜
無事に家路に着きました。
昼も夜も簡単ではあるけれど作って食べたらしいダンナ。
行かないと言ってくれたおかげで
未来愛らに時間気にすることなくお出かけもできて
ダンナに感謝しなきゃですね
チャン チャン